友人の友人の紹介で、山本雄毅さんから翻訳の話を聞いたとき、少し不思議に思いました。遠い富山に、これほど個性的な美術コレクションを持ち、今の時代では珍しい人道主義を謳うお寺があるのは謎でした。でも翻訳を始めて、浄蓮寺と松尾芭蕉の関係が見えてきた時に納得しました。芭蕉のように、世界の隅々に自然や人間の本質を見出して、それを眺めていると、宇宙が浮かび上がってきます。「共生の園」は芭蕉の精神を生かして、そういうことができる場所になろうとしていることがわかりました。
今度は、その名前をどう翻訳すべきかという問題にぶつかりました。直訳すれば、Garden of Coexistenceとなりますが、garden は平凡すぎるし、 coexistence は硬すぎる。「共生の園」の優しく美しいニュアンスが伝わらないと思いました。山本さんと相談して、Abode of Harmony に決めました。Abode は詩的な言葉で、「何かが宿る場所」のこと。Harmony はもちろん「調和」ですが、人種の間も人間と自然の間も、調和がなければ共生ができません。そういう思いで、Abode of Harmony にしました。
今の世の中、調和を実現する試みは何よりも必要です。これから、浄蓮寺「共生の園」が多くの人にその機会を与えることを祈っています。
中国語翻訳者
王 周明(オウ シュウメイ)
大阪大学 准教授
今回の翻訳を通して初めて知る富山県南砺市浄蓮寺の山本住職と芭蕉を慕う俳人たちによる信仰、芭蕉文学そして現代芸術との融合による取り込みに多くの感銘を受けました。以下は私の理解と「なるほど」を述べさせて頂きます。
よく言われるように、阿弥陀仏への信仰は、日常的な、例えば母親が自分を深く愛していることを疑わないような「信」ではなく、仏性という人間の本質への非日常的な「信」です。しかし、非日常的であるために、日々日常に暮らしすぎた私たちには、なかなか理解できるものではありません。そこで何かのきっかけが必要になります。いわゆる、浄蓮寺ゆかりの芭蕉の俳句の「古池や蛙飛び込む水の音」の「音」のようなものです。そこで登場するのは、今に生きる私たちの心に強く訴える現代の芸術です。その芸術的表現によって、私たちの日常が一旦打破され、古池に蛙の飛び込む音というきっかけが得られ、阿弥陀仏への信仰が体得されるのです。なるほど、これはまさに浄蓮寺の「共生の園」の取り込みの趣旨ではないかと私なりに理解させて頂いております。
最後に、現代社会において、多くの寺院の信仰が衰退し続けるなか、信仰に新たな風を吹き込む浄蓮寺のようなお寺は、実に少ない。今後のますますのご発展を心よりお祈りいたします。
韓国語翻訳者
文学博士 金 文洙(キム ムンス)
専門 近代日本文学 韓国語教育学
関西大学・近畿大学・大阪国際大学・同志社大学の非常勤講師
俳句の聖人として世界中に知られている松尾芭蕉(1644~1694)が「共生の園」と深いご縁があることに感銘を受けました。芭蕉の俳句はもはや日本文学を超えて世界50ヵ国に影響を与えている東洋の古典です。韓国でも『奥の細道』は数十年前に紹介されていますし、ソウルでも釜山でもいろんな俳句会が開かれているほどです。
グローバル時代にふさわしく、「共生の園」は新たな跳躍にチャレンジしていると感じました。それは現世の束縛から抜け出し、時代と階級を乗り越えた芭蕉の生き方のように、国家と人種と年齢と身分を乗り越えて共に生きていくすべての人々を仏の教え(つまり、悟り) に導かせてくれるのが「共生の園」の願いであると気づきました。
インドネシア語翻訳者
イ・グデ・オエイナダ
国立ウダヤナ大学日本文学学科・常勤講師
西川みき子
インドネシア語・日本語教師
この素晴らしい芸術作品が後世まで親しまれるよう、共生の園の末長いご繁栄をお祈り申し上げます。微力ながら翻訳という形で関わることができ、大変嬉しく思います。
ポルトガル語翻訳者
田中実マルコス
龍泉寺住職
仏教大学非常勤講師
浄土宗総合研究所 研究員
江戸時代から現代に至るまで、日本人に親しまれてきた俳聖、松尾芭蕉。
その芭蕉と縁の深い浄蓮寺は、仏教芸術と松尾芭蕉の芸術世界が共生する空間であります。
古代ギリシアの哲学者であり、芸術の始祖としても知られるアリストテレスは、芸術は目に見える自然形象の模写、目に見えない精神の表現によって創作されると述べています。
浄蓮寺「共生の園」では、平安時代後期の素晴らしい芸術作品である阿弥陀仏坐像などを通して、私たちの肉眼では見る事のできない、仏の世界を感じることができると共に、俳句の世界に生きた松尾芭蕉を通して生み出された、現代に生きる芸術家の方々の作品に触れることができます。また、芭蕉を慕う数百人の俳人の思いが形になった「黒髪庵(芭蕉堂)」など、昔と今が融合するこの「共生の園」の世界を、多くのみなさまに楽しんでいただければと思います。
最後に、「共生の園」のポルトガル語翻訳のお手伝いをさせていただくご縁を頂きましたことに感謝申し上げますと共に、「共生の園」が、日本人はもとより、様々な国のみなさまにも、「共に生きる」ことを感じとっていただける空間でありますことを願っております。 合掌。
ロシア語翻訳者
ヴィノグラードワ ダリア
大阪大学、非常勤講師
芸術は周りの世界の中では様々な形で存在し、人が芸術作品から読み取ることも色々あります。
好きな作家の展覧会に行って、その作品を見るときに親しい友達と会えるような喜びを感じる人もいるし、今まで見たことのない物を発見し新しい考え方や世界観に出会う人もいます。また、芸術作品の鑑賞により自己理解を促し、知らなかった自分を発見する人も少なくないでしょう。
旅についても広い意味で同じようなことが言えると思います。 旅に行く切っ掛けが様々で、何回行っても飽きない場所に行く時の喜びと懐かしさ、新しい目的地に向かう時の好奇心、馴染みのある日常生活のパターンから離れた時に生まれる斬新なアイディアや発見の渇望があります。
芸術も旅も、同じことの繰り返しが多くある毎日を送る人にとって刺激的であり、心を動かす力となるでしょう。人は様々な形の芸術に囲まれていますが、それを深く味わうには、日常生活の出来事の繰り返しから離れ旅に出る必要もたまにあります。
様々な芸術作品が集められた「共生の園」は、芸術と旅の精神が出合う「所」だと思います。「共生の園」で重要な役割を占めるのは、松尾芭蕉と関連のある展示作品です。これらの作品を通して、日本だけでなく世界の多くの国に知られている芭蕉の作品(俳句)を再解釈するものだからです。芭蕉の魅力的な世界観が新しい芸術作品に様々な形で表現され、昔と今を結び、新鮮な発見を促進させるものにもなるでしょう。
多様なジャンル、形、創意に富んで、多くの文化や考え方の影響を受けた「共生の園」の作品は、見る人に共感を呼び起こし、秘められた心の琴線に触れるでしょう。人によって、求めるものも異なり、邂逅も色々なので、「共生の園」は新しい発見の「所」になると思います。
芸術は、人間の想像力の成果であると同時に、新しい形で現れる祖先の経験や伝統でもあり、「共生の園」に集められた作品ではその創造性と継続性が明確に現れ、多くの人の心に響くと思います。
フランス語翻訳者
ノブル・ヴァランタン
フランス語教師、外国語指導助手
「共生の園」を訪れることにより、間違いなく日本の文化や哲学に深く触れることができます。確かに、列島に点在する多くのお寺のように、彫刻、絵画などの様々な分野において芸術作品や伝統的な建築を観賞することができるだけでなく、日本史における最も偉大な芸術家の一人との特別な関係もあり、日本の文化や社会への貢献が否定できない宗教である仏教の影響を受けた、自己啓発のための普遍的なメッセージも待っています。このように、「共生の園」はあなたに完全な体験、日本の魂への深いダイブを提供します。
このユニークな場所の説明文の翻訳に参加できたことを大変光栄に存じます。この機会に、松尾芭蕉が才能を発揮した社会と私たちの社会を隔てる大きな変化にもかかわらず、彼の名残が現代においても常に鋭く維持されていることを知ることができました。これは、私たちの出身が何であれ、彼は何世紀にもわたって、私たちに伝えるべき多くのことをまだ持っていると私は信じています。 「共生の園」への快適で実り多い訪問をお祈りします。
スペイン語翻訳者
フアン・パストール・イヴァールス
国連大学研究員
OKU“おく”は、日本庭園を専門とする私ににとって特別な意味を持っています。博士課程のタイトルは、「“間”と“おく”小川治平7世と20世紀の近代日本庭園)です。その研究期間中、日本の哲学者や建築家の書物から大きな影響を受けました。OKU“おく”は日本の芸術に基づく賢者の石として定義されています。 日本の都市、寺院、庭園は、本質的なものが隠され、それらを横断する際に、私たちの魂の遠隔地に似た謎のオーラを吹き込む層によって保護されるような方法で空間的に組織されています。
奥の概念は、森林の山々、深い谷、白水の川など、日本の風景から生まれています。この風景は人間を圧倒し、それを解釈して芸術、社会的関係などに組み込んでいます。OKUのコンセプトは、彼の有名な奥の穂一の作品と芭蕉が俳句を作った方法に反映されています:バショは、良い俳句が50%または60パーセントしか不死不滅であることを示さない場合、オブジェクトの70%または80%しか明らかにすべきではないと言いました。言い換えれば、俳句の50パーセントが隠されれば、その謎は無限になる。
私は若い頃、私がまだスペインに住んでいた時に母国語で、奥の穂一を読みましたが、ある夏の日、京都の乾いた庭を訪れたとき、暑い太陽と一緒に、湿った草の神の神秘を読みました。 彼らは岩、セミの声を貫通します」と、無制限に私の内部に達しました。
その場で芭蕉の俳句の謎が解き明かされるのが分かった。したがって、芭蕉と山本氏は、日本、世界、そして人生を、風景と周りの人たちと一緒に、深遠な方法で旅をすることを夢見ています。広い心で、私たちは、人間の多様性がもはや変わらない、深い調和の結果である国境や国のない未来の世界に、私たちの時間に進みます。
山本さんが自分の人生について初めて話すのを聞いたのを覚えています。彼は、彼の中に放射された光が、その最初の日から彼の外側の聖職者とどのように一致しているかを私に感銘を受けました。その後、彼は共生の庭プロジェクトに私を紹介し、彼の浄蓮寺に私を招待し、彼が一緒に働いていた若いアーティストからすでに受け取った作品を私に見せ、アーティストの考えを翻訳しました。だから、山本は奥の星町で、中途半端に会って宿を頼む芭蕉のキャラクターのような深い1対1の関係を作り出すのだと理解しました。今、立山山を横断するたびに、鶴義の丘と、イトイガワの劇的な風景が忘れきれません。雪に包まれたOKUの純度を発見した場所だと思います。
ベトナム語翻訳者
グエン・ヴィエト・アイン
ベトナム社会主義共和国外務省人事及び組織局 副局長
英語翻訳者
ジャン ユンカーマン
映画監督・翻訳者